井田 隆研究紹介

Bragg-Brentano 型粉末回折計の装置関数

実験室で広く用いられている Bragg-Brentano 型粉末回折計 の正しい装置関数の数学的な形式を世界で初めて導きました (Ida, 1998)。


はじめに

粉末X線回折ピークの形状は装置や測定条件によって変化します。 粉末回折データから正確に構造を評価するためには, 装置の影響を正しく考慮に入れることが必要です。

それでは装置の影響をどのように考えたら良いでしょうか? 一般的には装置の影響を「装置関数」として表して, 実測のピーク形状は「装置の影響を受ける前の本来のピーク形状」と 「装置関数」の「畳み込み」で表現されると考えます。

装置関数は装置によって違っているので, ある装置の装置関数を求めたからと言っても他の装置でも同じように使えるとは限りません。 しかし,幸いなことに粉末X線回折装置の場合には非常に普及している共通のデザインがあります。 このデザインを持つ粉末回折計は「Bragg-Brentano 型の粉末回折計」と呼ばれます。

illustration

このタイプの回折計は図のように非常に単純な構成なのですが, 格子定数を5桁くらいの精度で決定することも簡単で, 本質的に優れたデザインであるように思われます。 Bragg-Brentano 型回折計は古くから使われているので, 装置による誤差にどのようなものがあるかについても, 既にかなり詳しく調べられています。 ピーク形状を変形させる要因としては普通の測定条件では

  1. 特性X線の分光特性
  2. 軸発散収差
  3. 平板試料収差
  4. 試料の透過性の効果

の順番に目立った影響が現れます。

これらの効果を解析幾何学的な方法でモデル化することを試みます。


特性X線の分光特性 spectroscopic properties of source X-ray

粉末回折法では,普通は CuKα線をX線源として使うことが多いので, 回折ピークはKα1 線とKα2 線に分裂し, この効果がもっとも目立つ影響を与えます。 さらに詳しく,ピーク波長からずれた波長のX線がどのような 相対強度を持つかということ(分光特性)の影響を以下のような装置関数として表すことができます。

equation


軸発散収差 axial divergence aberration

図で入射ビームも回折ビームも水平に進む場合には 回折角とゴニオメータの角度は一致します。 しかしビームの進む方向が上下(軸方向)にずれた場合には, 回折角とゴニオメータ角が一致しなくなります。 Bragg-Brentano 回折計ではこのずれの効果を抑えるために, 薄い金属箔を積み重ねた構造を持つソーラースリットというものを 使うのですが,それでも軸方向へのビームの発散(軸発散)の効果は残り, これが収差の原因となります。 ソーラースリットによって制限された軸発散収差 (axial divergence aberration) を表す装置関数は 以下のような数式で表されることがわかりました。 この式の導出のしかたを PDF ファイル(約167kB) で説明しています。

equation for axial divergence

さらにこれを近似する形式として

equation for axial divergence 2

という形式が得られました (Ida, 1998)。 第2種変形ベッセル関数と言う特殊関数を含んだ形になりますが, この関数をコンピュータを使って計算することは容易です (Press et al., 1986)。 近似形式とは言っても実際にグラフを描いて比較すると 上の形式とほとんど区別がつかないくらい近い値が得られます。


平板試料収差 flat-specimen aberration

かりに試料面が回折円の曲率に応じて彎曲していれば試料面の上の どの位置で反射しても同じ回折角になるのですが, 実際には平面的な形状の試料を使うので, これが収差の原因となります。 つまり,試料のまん中で反射する場合と試料の端の方で反射する 場合とで,わずかに回折角がずれてしまうわけです。 この収差のことを平板試料収差 (flat-specimen aberration) と言います。 平板試料収差の装置関数は以下の式で表されます (Ida & Kimura, 1999a)。

equation for flat specimen


試料透過性効果 sample-transparency effect

試料にもよるのですが, 特に有機物などX線に対する透過性の高い試料のときには, 反射する位置が表面よりも奥にずれた位置であるような回折の寄与が現れます。 この効果の装置関数は以下の式で表されます (Ida & Kimura, 1999b)。

equation for sample transparency

試料の線吸収係数は, 組成がわかっていれば "International Tables for Crystallography, Vol. C" に載っている「質量吸収係数 mass attenuation coefficient」のデータと 「試料の見かけの密度」とから計算することができます。

ですから, Bragg-Brentano 型の回折計で粉末X線回折測定をする時には, 必ず「試料の見かけの密度」を求めておくべきです。 試料ホルダの充填部の体積がわかっていれば, 実際に充填した試料の重量を測定すれば良いだけです。 ちょっとしたことですが, このデータがあるのとないのとでは, 測定データから得られる情報に圧倒的な違いが生じる場合があるのです。


その他の効果

もちろん,受光スリットの幅やX線源のサイズによっても ピーク形状が変形しますが, これらの効果の装置関数は単純に求められるのでここでは省略します。


最後に

全体の装置関数は個々の収差を表す装置関数を 重ねて畳み込んだものとして表されます。 これで,非常に広く使われている Bragg-Brentano 型粉末回折計の 正しい装置関数が求められたことになります。 畳み込みをどのように計算したら良いかは 別の項目 で説明します。

なお,Finger ら (1994) は, van Laar & Yelon (1984) が 提案した粉末中性子線回折装置のための装置関数を Bragg-Brentano 回折計でも使えるようなことを述べているのですが, 仮定している光学系のジオメトリ(光学部品の形状や配置)が まったく異なっているので, 本質的に無理があります。 リートベルト解析プログラムには Finger らの 提案したピーク形状モデルを搭載しているものも多いようですが, このモデルを採用することが妥当であるかについては注意する必要がありそうです。


文献

"A correction for powder diffraction peak asymmetry due to axial divergence", L. W. Finger, D. E. Cox and A. P. Jephcoat, J. Appl. Cryst., 27, 892-900 (1994).

"Formula for the asymmetric diffraction peak profiles based on double Soller slit geometry", T. Ida, Rev. Sci. Instrum., 69, 2268-2272 (1998).

"Flat-Specimen Effect as a Convolution in Powder Diffractometry with Bragg-Brentano Geometry", T. Ida and K. Kimura, J. Appl. Cryst., 32, 634-640 (1999a).

"Effect of Sample Transparency in Powder Diffractometry with Bragg-Brentano Geometry as a Convolution", T. Ida and K. Kimura, J. Appl. Cryst., 32, 982-991 (1999b).

"The peak in neutron powder diffraction", B. van Laar and W. B. Yelon, J. Appl. Cryst., 17, 47-54 (1984).

W. H. Press, B. P. Flannery, S. A. Teukolsky and W. T. Vetterling, Numerical Recipes. Cambridge Univ. Press. (1986).


2007年8月7日修正