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軌道放射光回折計としての MDS


MDS はシンクロトロン軌道放射光を効果的に利用し, 高精度な粉末回折データを得ることを目的として設計されています。


シンクロトロン軌道放射光の特徴は「輝度が高いこと」だと言われます。 粉末回折実験に利用した場合,その結果として, 平行性が高く単色性に優れるとともに十分な強度を持つX線ビームを利用できることが, ユーザにとっての大きな利点となります。


実験室型粉末回折計で結晶性の高い試料を測定した場合, 測定される回折ピークの形状に最も大きな影響を与えるものは, X線の分光強度分布です。

実験室のX線源では, ターゲットとなる遷移金属に電子線を照射したときに放出される特性X線を使います。 このX線の分光強度分布は金属原子の内殻電子軌道間の電子遷移で決まるので, かなり単色性が高いものになるのですが,それでも厳密には単色だというわけではありません。

CuKα1 特性X線の場合,ピーク波長 1.54059Å に対して半値全幅 0.00044Å, およそ 3/10,000 くらいの幅があります。 実験室型回折計により測定された粉末X線回折データに現れる回折ピークは, この幅の分だけ「ぼやけた」ものになっています。 特性X線とは言ってもピーク波長から少しずれた波長のX線も放出されていることが, 粉末回折実験ではかなり気になるものなのです。


単結晶回折法では各回折ピークが原理的には3次元的に分離されるのに対して, 粉末回折法ではそれを1次元の軸の上に投影した結果しか見ることができません。 構造解析や電子密度分布推定の目的では各回折ピークの強度を正確に評価することが重要であり, 粉末回折データから個々の回折ピークの強度を評価するためには, 1次元軸上で回折ピークの分離を正確に行うことが必要になります。

単純な化学組成の物質で高温での平均構造の対称性が高い場合でも, 低温ではヤーン・テラー効果などの原因で対称性が低下し「わずかに歪んだ構造」になる場合は少なくありません。 このような場合,粉末回折強度データにおいて,高温では高い対称性のために完全に重畳していた回折ピークが, 低温では対称性の低下によりわずかに分裂したものになります。 ところが,本質的にはわずかに分裂したピークであっても分裂の幅が装置による「ぼやけ」と同程度の場合には, それを確実に検出して正確に評価することは困難です。 このため,特に相転移の研究では装置による「ぼやけ」を抑えることが極めて重要になります。


KEK-PF BL4 ビームライン群 (BL4A, 4B1, 4B2, 4C) では, 電子周回軌道上の偏向電磁石から放射される光がX線源として用いられていますが, MDS が設置されている BL4B2 実験ステーションに供給されるX線は Si 111 二結晶分光器によって単色化されています。

MDS での粉末回折測定の際に入射ビームの断面を制限するために使用する入射スリットは, 試料の量/大きさや測定目的によって変更するのですが, 多くの場合には供給される入射ビームをなるべく有効に利用するために, ビーム断面高さを 1 mm に制限するスリットが用いられます。 BL4B2 ビームラインでは回折計と結晶分光器が約 20 m = 20,000 mm 離れているので, スリット高さ 1 mm,波長 1.54 Åに対応する分光幅は概ね 1/10,000 くらいの値になり, 特性X線に比べても単色性に優れたビームを利用することができます。 BL4B2 の MDS を「高分解能」とみなせる本質的な理由はこのことによります。

なお,スリットの幅を狭くすれば,強度は当然低下しますが, さらに単色性を高めた条件での測定も可能であることも理解していただきたいと思います。 また,狭い回折角度領域に限定して分解能を高めたいのであれば, 集光ミラーの湾曲率を適切に設定して実質的な分解能を高める方法もあります。 ただしこの方法はやや特殊なオペレーションが必要になるので, 一般ユーザが単独で行うことは許可されておりません。


BL4B2 ビームラインでは円筒型反射鏡によりX線ビームが水平方向に集光され, 回折計位置では擬似的に平行なX線ビームを利用することができるように設計されています。 入射されるX線のビームが平行に近いので, 試料から回折されるX線のビームも高い平行性を持つものになります。 このことで平板結晶アナライザを用いて回折ビームの角度分解をする「高分解能測定」を実現することが可能となり, それと同時に検出器の多連装化が可能となるという卓抜なアイディアが導かれることとなりました。 このことについては別の項目で説明します。


2006年8月22日
名古屋工業大学
セラミックス基盤工学研究センター
井田 隆