名工大−物材機構,新しい構造解析法を開発

名古屋工業大学セラミックス基盤工学研究センターの井田隆准教授と物質・材料研究機構量子ビームユニットの泉富士夫特別研究員(名古屋工業大学客員教授)が,物質の結晶構造を解明するための新しい解析手法を共同開発した。この方法を利用することにより,多くの製造企業や試験研究機関で日常的に使われている粉末X線回折測定装置で得られる実験データから,従来の解析方法より正確に結晶構造を推定することが可能になる。

本研究の成果は,国際結晶学連合が発行する学術雑誌 Journal of Applied Crystallography の 2011 年 10 月号に論文として掲載される。


<背景>
 X線ビームを結晶性の物質に照射しながら写真を撮影すると,物質によって異なる図形が写真の上に現れる。その図形は原子がX線を回折(散乱)する現象に基づいており,物質の中で原子がどのように並んでいるかによって決まる。特に微細な結晶性粉末を試料として用いた場合に,同じ物質では必ず共通の図形が現れる。この現象を利用して物質中の原子の並び方を推定する方法(粉末回折法)を,1915 年に オランダ出身の物理学者ピーター・デバイとスイスの物理学者パウル・シェラーが考案した。現在では金属やセラミックスなど実用材料の評価や,天然の鉱物,医薬品を含む低分子量の有機化合物,腐食生成物の分析などに広く応用されている。
デバイ・シェラー写真

 1969 年オランダの結晶学者ヒューゴ・リートベルトが,原子炉から放射される中性子をX線のかわりに利用して測定された粉末回折強度データに「最小二乗法」[1] と呼ばれる解析手法を適用する方法を考案した。この方法(リートベルト法)によれば,かなり複雑な構造を持つ化合物の中の原子配列を粉末回折データから推定できる。リートベルト法は多くの研究者により改良が加えられ,中性子を使って測定された粉末回折データだけでなく,X線を使って測定された粉末回折データを解析するためにも用いられるようになった。1980 年代以降コンピュータ技術の進歩と普及にともなって急速に利用が拡大し,現在はX線あるいは中性子を使って測定された粉末回折データの解析法として中心的な役割を担っている。

 粉末X線回折法によって正確な実験データを得るためには,典型的な測定条件では試料を5μm 程度以下という極端に微細な粉末にまで粉砕する必要があることが,既に 1948 年に米国の科学者リーロイ・アレクサンダーらにより指摘されていた。この条件を満たさない場合には実測回折強度に寄与する結晶粒の数が有限であることによる統計的な変動が現れ,この強度変動は「粒子統計誤差」と呼ばれる。再現性のある粉末X線回折測定をするためには,多くの場合に試料を細かく粉砕する必要があることは経験的にも知られていた。しかし,物質によっては,過度の粉砕により結晶構造が変化してしまったり,結晶中に歪みが導入されることなどが深刻な問題となる。また,最近の先端的な粉末X線回折研究においては,シンクロトロン軌道放射光 [2] などの高輝度X線源の利用が拡大し,さらに CCD, CMOS 素子 [3] などを用いた高感度なX線検出器が実用化され,高速に高精度な粉末回折データを収集する事が可能になる一方で,リートベルト法の適用を正当化するためには,従来よりさらに微細な粉末を試料として用いることが要求される。


<今回の成果>
 井田准教授は,既に粒子統計に関する一般性の高い理論を独自に構築し,特殊な実験方法により粉末回折法における粒子統計の効果を定量的に評価しうることも見出していた。しかし,最小二乗法に基づくリートベルト法を用いる限り,通常の方法で測定された粉末回折データによる構造推定に粒子統計理論を応用するのは困難であった。
 この問題に関して,リートベルト解析を含む多目的粉末回折データ解析プログラムの開発者である泉特別研究員との間で議論が重ねられ,最小二乗法の上位概念にあたる最尤法(さいゆうほう)[4] と呼ばれる解析理論を適用すれば,通常の実験方法で測定された粉末回折データから粒子統計誤差を推定しうるという着想に至った。さらに,このアイディアを実現するために,共同で新しい解析手法を開発した。この方法では,(1) 実測の強度と計算強度の「ずれ」の詳細な解析による誤差の推定と (2) この誤差を織り込んだ構造モデルの修正を繰り返す。

新解析法の計算手順

 この解析法の有効性を調べるために,井田准教授は,リートベルト解析のための標準データとして公開されているフッ素アパタイト Ca5(PO4)3F および硫酸鉛 PbSO4,硫酸バリウム BaSO4 の粉末X線回折強度データについて検証を行った。これらはいずれも細かい粉末状の結晶性試料について,特性X線を用いて測定されたデータであり,従来はリートベルト法でも正しい構造が推定できると見なされていたものである。各データについて,リートベルト解析の結果から出発し,新しい解析法を適用して構造モデルと誤差モデルの修正を施す操作を繰り返すと,2〜3 回の繰り返し計算で解が収束したが,この方法で求められた構造とリートベルト法で推定された構造との間には有意な差が認められた。さらに,過去の単結晶構造解析の報告例と比較すると,新しい解析法で推定された構造は,リートベルト解析の結果より,むしろ単結晶法で解析された結晶構造に近づいていることが判明した。

 単結晶構造解析とは,良く成長した単結晶を試料として用いて,試料の向きを変えながら測定した詳細な回折強度データから構造推定を行う方法であり,一般的に純粋な物質の安定な構造に関しては,粉末回折法より正確な結果が得られる。ただし,粉末回折法と単結晶回折法とでは測定に用いる試料が異なるので,リートベルト解析の結果が単結晶構造解析の結果と食い違っていたとしても,本当に結晶構造がわずかに異なっていることによる可能性を否定できなかった。

 今回実施された一連のデータ解析において,リートベルト法とまったく同一の粉末回折データを用いているのにも関わらず,新しい解析法により常に単結晶構造解析に近い構造が導かれたことは,衝撃的な結果であった。従来,標準的な方法として認知されていたリートベルト法では不正確な結果しか得られない場合が少なくないこと,さらに,より正確で信頼性の高い結果が得られる「新しい構造解析法」が発見されたことを意味するからである。


<今後の展望>

 本研究では,典型的な実験条件で測定された粉末X線回折データに対し,粒子統計を考慮した新しい解析法を適用することによって,より正確な推定構造が導かれることが実証された。今後は物性科学や材料科学など広い分野にわたる多くの研究者によって,新しい解析法の有効性が確認され,幅広く利用されることが予想される。さらに,新解析法は,実用材料を過度に粉砕しなくても正しい構造推定を実現しうる可能性をもたらすため,学術的な意義だけでなく実用性の点でも極めて重要なものである。

 たとえば,セラミックス,金属,鉱物などは小さい結晶粒から構成される多結晶と呼ばれる組織構造をもつが,結晶粒が数μm 以上の大きさに発達している場合に粉末X線回折法による評価をするためには,塊(かたまり)状の試料を徹底的に粉砕し,微細な粉末に加工する必要があった。この処理が不要になれば,実用材料の品質管理や製造プロセス管理,あるいは鉱物分析のための非破壊評価法としての応用の拡大が期待できる。

 医薬品の多くは比較的低分子量の結晶性化合物を薬効成分として含み,粉末X線回折による分析は日本薬局方にも記載されている標準的な方法である。薬効成分を粉末の状態で測定して構造を解析することの重要性はかねてから指摘されていたが,分子性結晶は粉砕により構造変化を起こしやすいことから,高い再現性で粉末回折データを測定するのが困難なことも多かった。本研究成果に基づいて,薬学分野でもさらに粉末回折法の応用が高度化され,効果的な薬剤設計や品質管理のために利用される可能性がある。

 本解析方法の理論的な枠組みは一般性の高いものであり,放射光や高感度X線検出器などの先進的な測定技術に容易に適応できる。本研究で開発された新しい構造解析手法は,今後,方法論としてさらに改良され,応用が拡大していくと予想される。


用語解説

[1] 最小二乗法: 理論モデルにより予想される値と観測値の「ずれ」が最小になるようにモデルを最適化するデータ解析の方法で,とくに実測値と計算値の差の二乗和を最小にする方法が最小二乗法と呼ばれる。類似の方法としてミニマックス法やロバスト推定法がある。観測値の統計誤差が既知であり,観測値の統計的な分布が正規分布に従う場合に限れば,最尤法と最小二乗法は一致する。

[2] シンクロトロン軌道放射光: 高速に運動する荷電粒子が磁場中で軌道の向きを変えるときに,軌道の接線方向に放射される電磁波であり,高輝度,高指向性,高偏光度などの特徴を持つ。日本国内では SPring-8 や高エネルギー加速器研究機構(KEK)などのシンクロトロン施設が存在し,主にX線を利用した実験に用いられている。

[3] CCD,CMOS 素子: 光を電気信号に変換するセンサーであり,ディジタルカメラなどに応用されている。CCD は電荷結合素子 (charge coupling device),CMOS は相補型金属酸化物半導体 (complementary metal oxide semiconductor) の略称である。

[4] 最尤法(さいゆうほう): 観測値が統計的な性質を持つと仮定して,観測データの実現確率が最大となるように統計モデルを最適化する推定法。イギリスの生物統計学者ロナルド・フィッシャーが 1912 年から 1922 年にかけて提唱した。統計的な平均だけでなく分散(ばらつき)もデータから推定する事を可能とする特徴がある。最小二乗法を下位概念あるいは特殊例として含む。


リンク

名古屋工業大学セラミックス基盤工学研究センター解析システム研究グループ井田隆


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解析設計研究部門 解析システム研究グループ(石澤研究室)

e-mail: ida.takashi@nitech.ac.jp


2011年9月20日公開
2011年9月26日更新