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MDS における検出器の多連装化


MDS では,平行な入射X線ビームと結晶アナライザによる回折X線ビーム角度分解を利用することにより, 検出器の多連装化が実現されています。

検出器を多連装化することによって高い効率で回折データを収集することが可能となるということは, 議論するまでもない当然のことでしょう。 ただし,MDS が6系統の検出器を装備していることには, 見た目以上の効果があるのではないかと筆者は考えています。

また,検出器多連装化は平行法回折光学系でなければ実質的に実現不可能であるということと, 貴重な軌道放射光光源を有効に活用できる方法であるという二重の意味で, MDS のデザインは軌道放射光利用に合致したものであると言えるでしょう。


実験室で用いられる通常のX線源を使った集中法型 (focal geometry) 回折光学系の場合には, 検出器を多連装化することは非常に困難です。 通常 X 線源から放射される入射X線ビームは平行ではなくて発光点を中心とした球面状に発散しているのですが, これを平板状の試料の表面付近で「回折角の半分の視斜角」で入射/反射させた場合には, 試料面法線に関してX線源と対称な位置で擬似的に焦点を結ぶ(集光する)という性質があります。 このことを利用することで,実験室型の粉末回折計では高い角度分解能が容易に実現されています。

ところが,もし集中法光学系で検出器を多連装化しようとした場合には, 集光条件を満たすためには検出器アームを回転させるだけでは駄目で, もっと複雑な動かし方をしなければなりません。 検出器を試料の回転軸と異なる芯を持つ焦点円に沿って移動しなければならず, このためには極端に複雑なメカニズムが必要になります。

これに対して平行ビームを利用する方法 (parallel geometry) の場合には, 検出器は任意の位置におくことができるので,検出器アームを回転させるだけで良いのです。


検出器を多連装化するためのコストは,検出器の数が増えれば当然ながら増大することになります。 その一方で, シンクロトロン軌道放射光施設では質の高いX線ビームを提供するために大きなコストがかけられています。 貴重な資源をなるべく無駄無く利用しなければ「もったいない」という意味からも, 有効なビームを可能な限り活用しようとする検出器多連装化デザインは好ましいものだと思われます。


MDS では 6 本の検出器アームが設置されていますが, 実際の装置を見れば, この本数が 「全体として限られた空間の中で,検出器アームごとに自動調整可能で信頼性の高い結晶アナライザ駆動メカニズムを 設置するためにぎりぎり可能な最大の本数」 となっていることがわかります。

検出器システムが 6 系統という数は,主に空間的な制約から必然的に導かれた結果と思われますが, 筆者は実際にこの回折計を使用する経験を重ねるにつれて, この本数は,設計者が意識していたかを別として,多すぎず,少なすぎず, 絶妙のバランスがとれた数であると思うようになりました。

もちろん検出器の数は多ければ多いほど良いという側面もあるのですが, 検出器を増やすことの効果が特に顕著な領域 (つまり,少し検出器の数を増やしただけで大きな効果がある領域)がありますし, 逆に検出器を増やしてもあまり意味が無いという場合もありえます。

このことには,回折計による回折角度の走査方式,駆動メカニズム, 測定対象となる試料の単位構造の寸法, 使用波長, 電子蓄積リングの運転スケジュール, ユーザの実験目的などが複合的に関係しているので非常に複雑な問題なのですが, 以下に粗い議論を試みます。


高精度測定を義務づけられた軌道放射光粉末回折計では, 必要な剛性を実現するために回転部の慣性モーメントが大きくなることが避けられません。 筆者の概算では, MDS の回転部は半径数十 cm で 数十 kg くらいの質量が分布するようなものとなっています。

一方で,高精度な粉末回折測定では,一般的にステップスキャンという駆動方法がとられます。 これは例えば「1ステップあたり 0.004°回転させ, 静止した後に一定時間回折強度を測定する」という動作を繰り返すものです。

駆動用モータの発生するトルクはウォームギヤを介して回転部に伝達されますが, 駆動開始時には大きな慣性モーメントに由来する負荷がかかりますから, 回転角速度は一定とはせず, 駆動開始時と終了時に角速度を直線的に変化させるような「台形駆動」という駆動方式をとることが常識的です。 この方式では,最高速の制限をつけて一定角度以上回転させるとき, 角速度の時間変化をグラフにしたものが台形で表されます。 ステップスキャンのように小さい回転角だけ駆動させる場合には最高速に達する前に減速がはじまる 「三角駆動」となります。


駆動モータの加速度と減速度は負荷の慣性モーメントにより制限されます。 MDS の駆動にはパルスモータ(電気的なパルス信号に応じて一定の微小角回転するモータ)が使われており, 加速度の値がパルス換算で 103 - 104 pulse s-2 くらいの値になっているようです。 この条件で三角駆動をする場合, たとえばたかだか 100 パルス送るために 0.2 秒から 0.6 秒くらいかかってしまうことになります。 またステップ駆動の場合「パルス抜け」(パルスを送っているにも関わらず所定の角度移動しないこと)は甚大な影響を及ぼすので, 大きな安全係数を見込むことが必要であることも考慮すべきでしょう。 さらにステップ動作終了時には加速度の変化と機構部品の弾性によって機械的に「跳ね返る」ような挙動も予想され, 「測定の前に機械が落ち着くまで待つ」ための時間も十分にとるべきでしょう。

現状の MDS の測定制御系においては,強度データをコンピュータに転送するのにかかる時間や, 緊急停止動作に使われる割り込み制御のために必要な時間も無視できないものとなっているようです。 これらの時間を駆動時間に合わせた時間を「空走時間」と呼びます。 ステップスキャンでは,この空走時間の間にはせっかくのX線ビームをまったく利用することができません。 MDS の高い分解能を活かすために標準的に用いられる 1 ステップあたり 0.004°回転のステップ駆動をする場合に, この空走時間は 1.5 s に達します。 測定制御系の通信方式やアルゴリズムの改良によってほんの少し短縮できないこともなさそうなのですが, 主にメカニカルな理由で短縮できない時間が必ず残り, 全体として劇的に短縮することは非常に困難であろうと筆者は考えています。


KEK-PF BL4B2 の通常の共同利用期間では,最低1日, 最長で概ね 1 週間単位(正味 6 日間)でビームタイムが区切られます。 また,12 hr ごとに挿入光源のギャップ変更によりビーム位置が変動する場合があります。

軌道放射光粉末回折法による測定では,組成の異なる一連の試料や関連物質,標準試料などを, 同じ条件で測定する方法を用いることが一般的に好ましいと筆者は考えています。 これは,かりに絶対的な精度の保証が困難な場合であっても, 相対的な変化が明確であれば本質的な議論が可能である場合が多いからです。

したがって,粉末回折の多くのユーザにとって, 一試料あたり 8 hr から 12 hr くらいの時間で全角度範囲にわたる測定が完了することは本質的に重要です。


ステップあたり 1.5 s の空走時間が避けられないとすると, 例えばステップあたりに強度を測定できる時間が 1.5 s 以下であることはやや堪え難い状況でしょう。 これではビームが供給されている時間の半分以下の時間しか実際にビームを利用できないことになってしまいます。

ステップあたりの空走時間 1.5 s,測定時間 2.0 s を合わせて1ステップあたりの時間を 3.5 s とれれば, 許容できる範囲であるとみなすことにします。 この場合に,1ステップあたりの回転角 0.004°とすれば, 8 hr の総測定時間の間に走査できる角度範囲は 32.9°と見積られます。 MDS では 25°間隔で検出器が 6 本配置されているので, -2.9°から 30°の角度範囲をスキャンすれば全体としては -2.9°から 150°まで, 7.9°の角度範囲を隣り合う検出器で重ねて測定することができます。

この重ね合わせ範囲はほとんどの場合十分なものなのですが, 条件によっては必要最低限のぎりぎりのものになる場合もあります。 このことについては後述します。


多連装型検出器により収集された強度データは, 生データとしては各検出器ごとに測定された区分的なデータの集まりです。 隣接する検出器により測定されたデータを順に接合していくことによって連続したデータが得られます。

筆者はフーリエ解析を応用して区分強度データの補正/接合を自動的に実行するアルゴリズムを独自に開発したのですが, その開発過程で,隣り合う検出器により測定された区分データを無理無く接続するためには, 共通の回折ピークをそれぞれの検出器で二重に測定することが極めて効果的であることが (直観的にも明らかでしょうけれど)明確になりました。

したがって,必ずしも検出器が多ければ走査する角度範囲が狭くても良いというわけではなく, 少なくとも1本の明瞭な回折ピークを隣り合う検出器で2重に測定するという制約の下で, 実際に走査する角度範囲を決定するのが好ましい場合が多いのです。 もし試料の非対称単位構造が大きくて, 観測しうる回折ピークの間隔が十分に狭い場合にはこのことはあまり問題にならないのですが, 試料が単純な構造で回折ピークの間隔がかなり広くなる場合が現実に存在します。 極端な言い方をすれば,せっかく検出器を増やしても, 走査しなければならない角度範囲が変わらないので, ほとんど増やすメリットが無いという事態が十分に起こりうるのです。

例えば,波長 1.54Åのとき,粉末X線回折用の標準試料として常用される Si の回折ピークが出現する角度は, 111-反射: 28.5°,220-反射: 47.4°,311-反射 56.2°,... とかなりまばらなものです。 この場合,MDS で 55°以下の回折角をスキャンできる No. 2 検出器と, 80°以下の回折角をスキャンできる No.3 検出器とで共通のピークを重ねて測定するためには, No.3 検出器を 47.4°以下の角度からスキャンすることが必要になり, 角度範囲としては最低でも 32.6°をスキャンすることが要求されます。

この角度範囲は,先にメカニカルな制約と PF の運転モード, ユーザの要求を満たす条件の下で概算した走査角度範囲 32.9°と近いものになっています。 つまり,この場合には MDS でぎりぎりリーズナブルな測定が可能であり, 逆に MDS で多連装化された検出器を無駄なく利用できているということを意味しています。 これよりも検出器の数が少なければ走査しなければならない角度範囲が広くなり, 限られたビームタイムで測定を完了するためには1ステップあたりの測定時間を短縮せざるを得ず, 正味の測定時間が空走時間よりも短くなってしまうということになりかねません。 一方で,これより検出器の数を多くしても走査しなければならない角度範囲が変わらず, 測定時間をかせげることにはならないという事態が生じうるわけです。

明快な議論は困難なのですが, 現状では MDS が 6 本の検出器を持っていることの効果が 6 倍以上のものとなる場合が実際にありますし, 費用対効果を考えれば 検出器の数は多ければ多いほど良いというわけではないようです。 MDS が 25°間隔で配置された 6 本の検出器系を備えていることは, 軌道放射光粉末回折計として無駄なく漏れなくデータを収集するために適しているように思われます。


2006年8月23日
名古屋工業大学
セラミックス基盤工学研究センター
井田 隆